映画『311』ネタバレ感想・解説!賛否両論、森達也監督が描く3,11のドキュメンタリー映画

ドキュメンタリー

今回はドキュメンタリー映画『311』についてご紹介します。

監督の森達也は、日本のドキュメンタリー映画監督と言えば必ず名前が挙がるほどの確固たる地位を築いた人です。

毎回そのテレビじゃ見られない攻める姿勢で賛否両論を巻き起こして来ました。今回は、東日本大震災が起こってから15日後の福島でカメラを回すという、どう転んでも賛否両論からは逃れられないようなテーマです。

できるだけ穏やかに冷静に、そこに何が写り、どんな編集がされているのかチェックしてみようと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

映画の情報

監督
森達也綿井健陽松林要樹安岡卓治

2011年製作/92分/日本

引用:U-NEXT

あらすじ

東日本大震災発生から15日後の、2011年3月26日。

放射能検知器を搭載した車は、4人のドキュメンタリスト作家・映画監督の森達也、映像ジャーナリストの綿井健陽、映画監督の松林要樹、映画プロデューサーの安岡卓治を乗せ、被災地を目指して出発した。

ハンドカメラで映し出されたガイガーカウンターが激しく反応する中で、東京電力福島第一原子力発電所への接近を試み、津波の被害を受けた土地を訪ね、岩手・宮城を縦走する。

そして津波に飲み込まれた石巻市立大川小学校へと向かう。依然として行方が分からないままの我が子を探す親たちの言葉がメディアの姿勢をも問う。

遺族を前にしながら、ビデオカメラを廻し続ける彼らにも、厳しい批判が向けられる中で撮影者たちも疲弊していく。。。

感想・解説

本作『311』は、震災の混乱が色濃く残る2011年10月に開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭にて初上映されました。

文字通り賛否両論の嵐、一時は劇場公開が危ぶまれるほどの論争を巻き起こした超問題作です。

ドキュメンタリー監督が4人も集まってそれぞれがカメラを回し、バラバラの映像のピースを集めて偶然にできあがったという本作品。

釜山や山形の映画祭から上映してみないかという声がかかり、映画館で上映していいか自分達で判断していいかわからないから観客に聞いてみようとなったことで、映画祭に出品されました。

観客から賛否両論があり、そこでなにかがこの作品にはあると感じて上映へと動きました。

その緩い映画の作り方は羨ましい気もしますが、そもそもの成り立ちとして初めから責任を観客に委ねているような、変わった経緯を持った作品ですね。

映画『311』の雰囲気について

まず冒頭で映し出される車のダッシュボードの上に設置された放射能検知器に、この映画の撮影者たち四人の好奇心(のようなもの)と、危険への準備。それを同時に知ることができると思います。

単純な好奇心なのか、正当なジャーナリズム精神なのか、彼らの目的もいまいちわからないままに映画は進んで行きます。

彼らはリラックスする為か、今までも数々の山場をくぐり抜けてきた為か、ニヤニヤしている場面があったり、夜につまみを食べながらビールを飲むシーンも挟み込まれたり、原発の近くで着ていたカッパを外に脱ぎ捨てる映像があったりと、そこが観客を緩やかに煽っているのかと思われるのですが、気に入らない人もいるかと思いましたね。

そりゃもちろん、びびりすぎて笑ってしまうなんて事は日常茶飯事ですが、題材が震災なだけに、やはりこちらも違和感を覚えてしまいました。

ただ、行動を起こし、原発の30キロ圏内に入ってカメラを回す、それ自体が凄いことで、その行動力自体はとても純化されたポジティブなものだと思います。

引用:映画.com (C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治

音質のいいナレーションも、音楽もない

前述しましたが、ハンドカメラで撮られた荒い画質がずっと続くため、いわゆるテレビのドキュメンタリーとは違います。

ハンドカメラで撮った荒い画像で、車内から主観で道路を撮った映像も多いので最低なロードムービー的な雰囲気もありました。

原発から8キロ地点で、タイヤがバーストし、もう帰ったほうがいいよ。という暗示なのか、検知器がずっと嫌な音を鳴らしている中でのタイヤを交換するシーンがあるのですが、それはどういった意味があるのか、ないのか、いらないようなシーンといえばいらないような気もします。

ただ、曖昧に無目的に映画は進んで行くので、そんなものが見たかったなら必見です。

コンビニの商品が空の映像などは、テレビより、こういったドキュメンタリーや、素人が携帯のカメラで撮った映像が生の質感、リアルタイムという点では信頼がある映像だと思います。

ナレーションも音楽も、なんならテーマすら見いだせなく、ずっと写されているのは、瓦礫の山と、働く自衛隊、遺体を探す一般の人、監督達の撮影隊や他のメディアクルーなどです。

テレビドキュメンタリーとは違い、編集や物語性に一貫性はないというのが、この作品のひとつの特徴かなと思いました。

引用:映画『311』公式HP

悲しむために、遺体を見つけたい

子供を亡くして今も見つかっていないある主婦のインタビューで非常に衝撃的な意見がありました。

遺体を見たくないという段階は終わった。遺体が見つかりそれが家族だとわかるとあーよかったね。と思うとの事。

女性はさらに穏やかに言います。マスコミに子供を亡くした悲しさを聞かれるが、それよりも重機が必要なんですそれをテレビで伝えて欲しいと頼むと、それはお伝えできませんと言われる、と彼女は少し口許に笑みを浮かべながら言っていました。

遺体が見つかってから実感は沸く、まずはその為の重機だと。放心は通り越した。どうにか遺体を見つけ出したいのだと。

悲しみをみつけたいから、重機が必要なんですなんて意見、こんな精神の整理の仕方。とてつもなく衝撃的でした。

森達也の聞き方が、遺体は見つかって欲しくはないんじゃないでしょうか?こんな感じなので、かなりデリカシーが無いような映りになってしまってますが、主婦が貯めこんだ思いを吐き出し、それが全くの他人だから喋れて、それは救いなんじゃないかなと思います。

人の辛い過去を掘り下げるべきではないと思う葛藤は自分にもありますが、この主婦を見ていたら、どこか基本的に話を聞いて欲しがっているように見えた事も何かを考えさせられました。

自分を主人公にするしかなくなった

自分は本音をいうと、ドキュメンタリーには、トラブルや事件を求めているのだと思います。怖いもの見たさというやつです。

だからこそ311は取り上げるべきではなかったと思いました。あまりにも大きな災害だからです。

編集点、や視点が監督の森達也たち自身へと、内側に向いていったのもわかる気がします。

災害に巻き込まれた人を描くのに、他人だと不謹慎過ぎるため、自分達を取り上げる以外、着地点がないのだと思います。

恐怖と混乱のなかで否が応でも高揚し、やがて自らの無力さに思い至って押し黙るほかに術のない、”撮る側”の混乱した姿。マスメディアが決して露にすることはないけど、一番被写体に近い“撮る側”にいる人ってこんな感じでいたんだとわかります。

テーマが元々そうだったのか、途中から切り替わったのか、この“撮る側”の葛藤は貴重なテーマだと思いました。

引用:映画.com (C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治

遺体を映そうとした事について

最後に遺体にカメラを向けるシーンまでは割とドキュメンタリーとして許容範囲だったと思います。

遺体を映そうとして捜索隊に角材を投げつけられるシーンは一線を超えているかと思いました。生放送じゃないんだから、そうしようと思えば編集で削れたと思うのですが。。。

それをあえて残したのは、遺体を撮ろうとしてしまった自分たちの衝動と、それに対する当事者の反応を、偽りなく見せたかったからだと思います。

僕たちの中には他者へのいたわりと醜い野次馬根性が同居していると。その事への自戒を込めて見るべきなのだと思います。

ジャーナリズム精神は最高だ、だけど自分の家族にカメラが回されたら?そう思うとやはり答えはNOです。だから悩ましい。

頑張れ日本とか絆とか、そっちに行っちゃダメだと言う森達也

特典映像でも、彼らは悩みながらこの作品を作り、インタビューする馬鹿馬鹿しさにあきれ、それでも聞かない限りわからないとまたインタビューし、また悩み、と逡巡が語られますので貴重です。

回りのテレビクルーも何を聞けば、というか、なにしに来たんだろう、とたたずんでいたとの事です。

後ろめたい思いがでてきた、それゆえ、頑張れ日本とか、ひとつになろうとか、絆とか、そっちに行ってはダメだと言う森達也監督。後ろめたさ、残酷さをみつめるべきだと。

質疑応答で、角材を投げた人とのその後と、なぜそのシーンを最後にしたかが語られていました。

その後どうなったか、映画で語られていないので語りません。あのシーンがなぜ最後なのかも語りませんと森達也監督は言います。

安岡卓治監督が質問に答えたことによると、角材を投げた人とは最初は険悪だったが、何度か電話するうちに作品を確認してくれるまでの仲になったと言っていました。

私たちも尋常じゃなかったと、自嘲気味に言われ、彼から頑張ってとの声も頂き、その思いも背負ってしまったと思ったとの事。

映画『311』を共同で作った監督たちの仕事のやり方に誠意がこもっていたという考え方もあると思うのですが、撮影を許可し、映画も許可した東北人はの男性はどんだけ優しいんだよ!とは思ってしまいました。怒って無視してもいいのに。

でもこの裏側のエピソードを聞けて本当に良かったです。

最後に

最初は意気揚々と出掛けるが、後半に、何をしに来たんだろう僕らは、となる物語?流れ?は映画にしてみてもレアな物語で、なかなかいいと思いました。

ことあるごとに、ジャーナリズムの大事さと、不謹慎さは最低だという二重思考のようなものが頭を支配します。

そういう作りの映画なんだと思いますが、答えは全くと言っていいほどに出てこないのです。

困ったことだ。。。

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