『ドラッグストア・カウボーイ』【ネタバレ感想・解説】ガス・ヴァン・サントが描いた青春

青春映画

今回は映画『ドラッグストア・カウボーイ』についてご紹介します。

『エレファント』でカンヌ映画祭グランプリを獲ったアメリカのガス・ヴァン・サント監督の長編映画の二作目が本作『ドラッグストア・カウボーイ』です。

監督のガス・ヴァン・サントは、不良を撮ることに関しては傑出した個性があると思っています。静かなトーンの中で独特の瑞々しさがある不良たちが描かれています。初期の作風はどんな感じだったかチェックしていきたいと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

映画の情報

監督
ガス・ヴァン・サント

脚本
ガス・ヴァン・サントダニエル・ヨスト

出演
マット・ディロンケリー・リンチジェームス・レマーヘザー・グラハムウィリアム・S・バロウズ、他

原題
Drugstore Cowboy 

1989年制作/100分/アメリカ

あらすじ

1970年代のアメリカのオレゴン州ポートランド。麻薬に青春を捧げたボブマット・ディロン)とダイアンケリー・リンチ)の2人は、仲間のリックジェームス・レマー)、ナディーンヘザー・グラハム)と麻薬を得るためにドラッグストアや病院を襲ってはリッチな隠れ家でドラッグを楽しむ日常を送っていた。

ボブはドラッグをキメてる間は世界は自分の手の中にあるものだと思っていたし、ドラッグや盗みを辞めるタイミングも「闇の声」が教えてくれると、ある意味達観した境地にいた。このままいったら負けるのは知ってる。でもゴーってな感じだ。

完璧だった生活も徐々に狂っていき、ついには仲間のナディーンが麻薬中毒死する。その死にボブは、グループから離れて更生するタイミングだとハッキリと感じとる。

施設に入り、更生を図ろうとするが、かつての手下のデイヴィッドに撃たれてしまう。。。

感想・解説

監督のガス・ヴァン・サントの初期の三部作はポートランドという田舎を舞台にしている為、ポートランド三部作と呼ばれています。そのままですね笑。一作目が『マラノーチェ』で、その次作が本作品です。

ビート文学や、カート・コバーンが好きな人も観ておいて損はないと思います。ビート文学を体現した、実際のジャンキーでもある小説家ウィリアム・S・バロウズというおじさまがでているからです。

彼はあの伝説のロックスター、カート・コバーンにも愛されていました。彼の動いてる姿を見れるだけでもなかなか貴重だと思いますよ。

あまりにも格好いいジャンキー

青年と大人の中間のマット・ディロンがやはり最高。クールな目付きもいーね。でもこんなイケメンなジャンキーいないよなぁとは思いましたね。

オープニングは彼の語りから入る。いつか破綻するとわかってた。なのに突っ走ってた。敗けを知りながら。。。そういう彼はいきなり救急車の中。

いきなりやばすぎる局面からはじまる映画。この手法の映画もたくさんありますよね。

隠れ家の隣人を騙し、警察に発砲させるシーンで、マットが物凄い形相で笑っているカットがある。

炭酸の泡が画面一面に立ち上るなか、そこに、彼の狂気的な笑顔がコラージュされている。

とても安い演出だけど、雰囲気が凄く出ていました。是非観てみてください。ガッカリするかもしれませんが。。。ガス・ヴァン・サントの演出はこんな風に、ある意味では軽く、でもある種の爽やかさがある。と思います。

警察にドラッグの在りかを正直に言うか、家を粉々にされるかどっちがいい?と問われて暗転し、ゆっくり明転すると、家が粉々になってるシーンもあったりして、予想はつくけど、コメディセンスある!と思いましたね。

超スピードでの青春の終わり

ドラッグムービーは過剰な演出になりがちだけど、そことは全く違っている印象でした。

同じようにダイアンという名のヒロインが出てくる映画『トレインスポッティング』の、主人公がドラッグに溺れ、幻覚を見て泣き叫ぶ演出とは全く違っていましたね。

仲間のナディーンが死んでしまい、仲間二人と死体を山へ埋めに行き、そして次のカットではもうやつれた表情のボブが一人でバスに乗っていて、更生する為の展開が始まっていた。こんな素早さ、普通じゃありえないと思います。葛藤はあまり描かれていなくて音楽もなく、だからこそ沸々と感じるものがありました。

彼の作品『エレファント』でも見られた、超スピードで流れる雲と巨大な建造物との対比のシーンもあって、行き急ぐように変わっていく有機物と全く変わらない無機物が何かを感じさせずにはいられない雰囲気が出ていました。

ジンクスで動いている不良

主人公のボブは変わった男で、3つほど信じているジンクスがあってそれを頑なに守っていました。それに暗闇からの声を信じてもいて。

突っ走れ、奪い取れ、今を好きにやれ。降りるときは教えてやる。

こんな途方もない声を信じていました。どこか、ジンクスや、暗闇からの声。と、自分以外の何かの意見を重視しているところに興味が湧きました。

冒頭の救急車で運ばれるシーンでは、負けを知りながらなんて事も言っていたけど、自分の状況がなにより大事なはずなのに、彼は自分の意見さえも興味ないようでした。

なぜか?それは自分が思うに、彼が本当の不良だからだと思います。格好いい意味ではなく、本当に他力本願で生きているどうしようもない人なのだなと。。。

原作の同名小説『ドラッグストア・カウボーイ』の原作者のジェームズ・フォーグルは実際に犯罪を犯していて、少年時代に服役した際に、刑務所で囚人仲間にドラッグストアへの侵入方法を教わったそうです。その経験を元にこの小説はできあがりました。

どうしようもない本当の不良が原作では生々しく描かれていたのだと思います。

ウィリアム・S・バロウズが老人のジャンキーの神父役で出てきます。

彼自身も正真正銘本物のジャンキーなのですが、以外と若々しくて驚きましたね。この思いきったキャスティングに乗っかるようなアクティブさがあるからなのでしょうか。

とにかく、不良のリアルな匂いも原作や登場人物から感じ取れました。

ガス・ヴァン・サントの演出の瑞々しさ

ガス・ヴァン・サントの脚本では省かれている部分も相当多かったと思います。

仲間と別れる前の葛藤も描かれず更生の場面に移ったり、不良の後輩との主従関係、そのディティールも省かれています。

そこが物足りないという人もいるだろうし、そここそが、独特の爽やかな浮遊感を産み出しているとも思うのです。

ただ俺は生きていたい。という短い台詞と、最後に挟み込まれる8ミリのデジタルカメラのコラージュ。この手法も簡単ではありますが、爽やかな余韻を出すことに一役買っています。

別れた彼女のダイアンと再開するシーンで、彼女はジャンキー生活で潤った見た目。ボブは工場でボルト用の穴開け。ダイアンは少し残念そう。彼女はそっとプレゼントとして薬をテーブルに置く。

ボブダイアンに言う。こんな暮らしも悪くないと。こんな部屋でも。

地味ですが、ジャンキー映画のなかではすごくポジティブなメッセージだと思います。

ボブは仕事終わりに小さな自室の窓際に置いたテーブルで紅茶を飲んでいて、今は恋人もいらない、なんて言いながら。うまく説明はできないのですが、このリアルな生活はこれはこれでパラダイスのようにも見えました。

最後は希望に裏切られることはなく、演出は押しすぎず引きすぎない。物語性よりシーンのリアルさを重視して、誰にも肩入れしないような客観的な視線がカメラに宿っている。これがガスの演出なのだと思います。

ガス・ヴァン・サントの脚本の軽さ

逆に言えばどうでもいいようなシーンの連続で、仲間の死も、絆がほとんど描かれていない分、軽いです。

人生はつらい。先がわからないからだ。だが、やくちゅうは賢い。薬で楽しくやってるからだ。

引用:映画『ドラッグストア・カウボーイ』

最後の最後に、こんなアホみたいな台詞も出てきます。多分原作にこの台詞があるのだと思いますし、若さとはこういうことなのだと思いますが、ちょっと恥ずかしすぎますよね。

もっと下手な脚本と演出なら、素晴らしくダッサダサな映画が誕生していたかもしれません。なんだかんだでガス・ヴァン・サントの脚本の上手さを感じましたね。

最後に

この映画、正直あまり人にはおすすめしません。物語はあまりないので、つまらんと言われればそうでしょうし。

個人的にはラストのワンカットで全部良しにするような、暖かい余韻を感じられました。この映画で密かに生きる決意を新たにするような人もいたんじゃないかなと思います。

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