映画『フィールド・オブ・ドリームス』ネタバレ感想・解説!36歳から夢を追う男の物語

ヒューマンドラマ

今回は映画『フィールド・オブ・ドリームス』をご紹介します。

名作として良く聞く本作品。内容は、おとぎ話のようにざっくりとした展開で、悪く言えば現実的ではない物語でした。

いろいろ調べてみると奥がとても深い映画でしたが、今の時代の映画や漫画に慣れている人は肩透かしを喰らう地味な物語かもしれません。

おとぎ話として受け入れてしまえば、とても感動する作品でした。あと、野球に興味が無くても直接的にはそれほど関係はないので大丈夫かと思います。それではレビューしていきたいと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

映画『フィールド・オブ・ドリームス』の情報

監督
フィル・アルデン・ロビンソン

脚本
フィル・アルデン・ロビンソン

原作
ウイリアム・パトリック・キンセラ

出演
ケビン・コスナーエイミー・マディガンレイ・リオッタジェームズ・アール・ジョーンズ

原題
Field of Dreams

1989年/107分/アメリカ

引用:U-NEXT

映画『フィールド・オブ・ドリームス』のあらすじ

とうもろこし畑を営むレイ・キンセラ(ケビン・コスナー)はある日、畑作業中に不思議な声を聴く。

「それを作れば彼が来る」

その声に導かれるがままに、野球場を作る事だと感じたレイは大事な収入源である、とうもろこし畑を潰し始める。信念に従って行動するレイと彼を暖かく見守る家族。球場は完成するが、家計は苦しくなる。全ては無駄だったのか思われた時、不思議な現象が起こった。

レイの造った球場に、往年の野球選手、シューレス・ジョーレイ・リオッタ)の幽霊が現れた。しかも次の日には、ジョーに連れて来られた、かつての往年の野球選手の幽霊たちがマウンドでプレーをしていた。

さらに、レイに囁きかけてくる声はこれだけでは終わらず、不思議な現象はまだまだ続いていった。一体、謎の声の目的はなんなのか。そしてこの先に何が起ころうとしているのか。。。

映画『フィールド・オブ・ドリームス』の感想・解説

「それを作れば、彼がやってくる。」

こんなお告げが天から聞こえてきただけで主人公は一人で野球場を作ろうと決意します。まずそのリアリティーのなさにどれだけの観客はついてこれるのでしょうか?

野球場が完成し、ある朝やってきたのはなんと、幽霊たち。まるでコントのような展開。どれだけの観客がこのプロットについてこれるのか?という感じですが映画レビューサイトでは軒並み高評価でした。

引用:(c)Photofest / Getty Images

なにかが、あるんだ。この映画には。監督のフィル・アルデン・ロビンソンはこの映画を一発当ててから他は不発のようですし、余計にそう感じさせますね。

どんどん叶う夢、現実感のなさ

主人公・レイ(ケビン・コスナー)は天からのお告げを3つ聞き、それを全て叶えていきます。

とてつもないテンポで叶っていく夢に現実感のなさを感じましたが、これはアメリカのおとぎ話なんだと思うことにしてやり過ごしました。

大掴みな展開は確かにファンタジックな映画にはうってつけだと思います。現代のハイレベルな映画を普通の基準にしていると肩透かしを喰らうと思いますが、これはアメリカの古き良き詩なんだと思えば、新鮮に見ることができました。

ケビン・コスナーの永遠の父性ともいうべき男らしさ、そのフェロモンの安定感も見所のひとつでしたね。

引用:amazon

36歳で妻子持ちのレイは貯金を全部使い、畑はあっという間にならされ、球場完成。その過程は特に描かれないテンポに驚きました。そして、家計はひっ迫するという当たり前の展開。

とにかく何度も言いますが、これはアメリカのおとぎ話なんだと思います。夢は叶い、この後仲間は増え続けていきます。

本作品での夢を追う姿勢の描き方

アメリカでは今でも親が子供に『フィールド・オブ・ドリームス』を見せ続けているそうです。

自分がこの映画で好きな部分は「夢を持つということはイカれてるということ」そして、「自分はイカれてると自覚し笑い飛ばすこと」が描かれていることです。

主人公は作中でも何度も自分はイカれてるなと自嘲的に言い、笑っていました。そこをサラっと描いた映画は他にないと思います。

幽霊のシューレス・ジョーレイ・リオッタ)が野球場に現れ、主人公夫妻と娘は見えているのに、他の人には見えないことを主人公は知り、こう言います。「面白くなってきた。」と。主人公がテレンス・マンジェームズ・アール・ジョーンズ)とのドライブ中にも俺たちイカれてると楽しみながら笑っているシーンもありました。

彼らは手段そのものを楽しんでいました。夢を追う姿勢の理想型ではないでしょうか。

本作品の最重要テーマ

主人公の原動力のひとつに、親父みたいにはなりたくないというものがありました。

彼らのひとつ上の世代と言えば第二次世界大戦を経験した世代、戦争を経験することで彼らは静かで質素な暮らしを目指すようになります。戦争のことも語らずに。

主人公はここを全て否定しているのだと思われます。もっと夢を持って生きていこうぜと。なにか語れよ、と。

主人公(そして妻)は50年代の沈黙した親父の世代を否定した、ヒッピー文化に顕著な60年代のカウンターカルチャーの世代を表しています。1960年代のアメリカで重要なのは、ベトナム戦争をめぐる反戦運動やヒッピーの運動だろうと思います。

引用:amazon

主人公の部屋にはジョン・レノンのポスターもありました。イマジンとロックンロールのわかりやすい世代で、夫婦が広大な農場でのんびりとした日々を過ごしているのも、束縛されない自由な生き方を表しているのだと思います。

親父みたいにはなりたくないと言っていた主人公。ある意味では否定することで夢を父親から貰ったと解釈できるとも思います。それが天からの声と繋がるのだと思いました。

天から聞こえてくる幻想のような声。そんな夢は自発的ではないという意見もあるかと思います。それもわかりますが、この映画の言いたいことは、夢や人の意思は単独で機能することはありえなく、必ず繋がっていて、それは受け継がれていくものだ。ということだと思います。

この部分に人は感動するのだと思いました。そして、ラストシーンの大量の車のライトが表すように、夢は多くの人の心を動かしていくんだとこの映画は教えてくれ、そんな映画を現実の世界でも親が子に伝えていくのだと思います。

テレンス・マンのモデルはJ・D・サリンジャー

本作品の登場人物の小説家テレンス・マン。原作では実在の小説家J・D・サリンジャーがその役割を果たしています。

彼はまだ50年代のロックンロールが始まる前に、保守的な価値観に対する異議申し立てを小説でやっていた革命的な人です。そして、彼もまた第二次世界大戦の戦場を経験し傷つけられた沈黙の世代。

そんな親父にも近い年齢の彼を原作では主人公は見方につけました。彼が心強い見方になってくれたことで物語が一気に加速した気がします。

テレンス・マンは作中で、なんの説明もなく飛びっきりの笑顔でトウモロコシ畑に消えて行きますが、死んだのか?また戻ってきてくれるのか?想像するしかないのですが、確実なことは「小説を書く」とは言っていたのでなんらかの形であの野球場には戻って来て小説を書いてくれるのだと思われます。

マット・デイモンとベン・アフレックがエキストラ?

テレンス・マンレイが野球観戦するフェンウェイ・パークという場所でのシーン。

実は観衆の中に、まだデビュー前のマット・デイモンベン・アフレックがエキストラとして参加していたとの事です。

映画『グッドウィル・ハンティング』を共同制作したほど仲の良いあのコンビがいたなんて驚きです。作品には一切映ってはいないのですが。。。

関係ないですが、テレンス・マンの家のシーンは『グッドウィル・ハンティング』の舞台でもあるボストンで、同じような匂いが画面から伝わってきて、それだけでワクワクしました。

最後に

この映画のトウモロコシ畑と、強い父親の構図は、似た映画として『インター・ステラー』が思い出されました。トウモロコシ畑とケビン・コスナーが出てくる『マン・オブ・スティール』も似てました。牧歌的な風景とSFは相性がいいんでしょうかね?

本作はザ・アメリカな映画だと思うので日本人にはわかりにくい部分もあるのだと思いますし、このざっくりとした脚本は、果たして現代にどれぐらい通用するのか?とは思いました。

最後の野球場に人が押し寄せるシーンなんて、自分は「もし皆幽霊が見えなかったらどうすんの?」なんて無粋な事を思っちゃいました。幽霊が見えなかった人が、ある日急に見えたりすることに一言も説明もないのは、やっぱりそこは違うかな。。。 

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