映画『浮雲』ネタバレ感想・解説!成瀬巳喜男が生んだ日本映画の名作として有名な作品

邦画クラシック

今回は映画『浮雲』についてご紹介します。

Netflixで成瀬巳喜男なるせみきお)監督の『銀座化粧』『めし』『浮雲』『女が階段を上る時』『乱れる』が2021年2月から配信開始されました。とうとう成瀬がネトフリで気軽に見れる!という事で見てみました。

日本映画のクラシックとして良く聞くこの作品。曰く、1955年度キネマ旬報一位、日本映画を代表する監督のひとりである小津安二郎が俺には撮れないシャシン(映画)だ、と言った、これテンプレのように良く聞きます。そんな事言われたら見てみたくなりますよね。

自分はレオス・カラックス(フランスの映画監督)が成瀬の熱烈な信奉者と聞いて、そこ経由で興味を持ちました。まあ、御託はさておき、ただ自分なりにチェックしてみたいと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

映画『浮雲』の情報

監督
成瀬巳喜男

脚本
水木洋子

原作
林芙美子

出演
高峰秀子森雅之岡田茉莉子加東大介、他

洋題
Floating Clouds

1955年製作/123分/日本

映画『浮雲』のあらすじ

第二次大戦下、義弟との不倫な関係を逃れ仏印(ベトナム)に渡ったゆき子高峰秀子)は、農林研究所員トミオカ森雅之)と出会う。当初は毒舌家なトミオカに否定的な感情を抱いていたゆき子だが、やがてトミオカに妻が居ることを知りつつ2人は関係を結ぶ。

そして終戦。妻との離婚を宣言して、二人で暮らすことを約束し、トミオカは先に帰国する。後を追って東京のトミオカの家を訪れるゆき子だが、トミオカは妻とは別れていなかった。

ゆき子は生き抜くために米兵の情婦になり、そんなゆき子と再会したトミオカゆき子をなじり、ゆき子トミオカを責めるが結局二人はよりを戻す。

二人は伊香保温泉へ死に場を求めて彷徨うが、死ねず、くっついては別れまたくっつく二人。

ベトナムで夢のような日々が忘れられないのか、離れられずにいる二人。トミオカは新任地の屋久島へ行くことになり、身体の不調を感じていたゆき子も同行するが、35日間雨降りと言われる屋久島は二人を暖かく迎えてくれることはなかった。。。

映画『浮雲』の感想・解説

原作は成瀬巳喜男がその出世作『めし』(1951)以来、『稲妻』(1952)、『妻』(1953)、『晩菊』(1954)と立て続けに映画化して成功した林芙美子の同名小説です。

その原作者の目線が、脚本家水木洋子による次の展開がまるで読めないような脚本でブラッシュアップされ、成瀬の得意とする俯瞰による神の視点がそれをまとめあげているという奇跡のバランスが下世話な昼ドラから名作へと昇華させていると思いました。

浮雲のような男と女

トミオカが付き合ったであろう女性はゆき子、温泉で出会うおせい岡田茉莉子)、妻も含めアパートで知り合った女や、手伝いの女とも良い仲になりそうだったので5人もいました。

女を代わる代わる変える展開で、男からすると華やかに見えますが、逆に女性目線でみてみようとすると、まるで女性は代替可能な性の奴隷のようにも思えてきます。最後の最後の画面に大写しになる名台詞が、ここでただただ残酷に効いてきますね。

女性の視点と男性の視点が入れ替わり、成瀬の得意とする俯瞰による神の視点とのバランスがこの映画を大名作のレベルにまで引き上げているのだと思います。

小津安二郎が俺には撮れないシャシン(映画)だと言った

このセリフはあまりにも有名。と、各所で聞きますが、本当に言っていたのでしょうか?「俺に出来ない映画は二つある。それは溝口健二『祇園の姉妹』(1936)と成瀬『浮雲』の二本だけだ。」このセリフは必ずと言っていいほどこの作品の紹介文でよく見ます。

調べてみると確かに言っていましたが、小津自信が記述した文献などはないそうです。ですが、言ってたことを聞いた人たちが文献に残しているみたいでした。玉井正夫『成瀬監督とコンビ十年』『三百人劇場映画講座 vol.1 成瀬巳喜男特集』3 頁。藤本真澄『一プロデューサーの自叙伝』尾崎秀樹『プロデューサー人生』224 頁に詳細は載っています。(引用:東京大学学術機関リポジトリ 第Ⅰ章映画監督とその影 第4節小津の変貌)

小津監督は、1955年はこの映画が一位を獲るとまで言っていたみたいで、この映画の衝撃は相当なものだったと思われます。小津のその後の作品にまでこの映画の影響を感じさせる部分が多いことからそれを感じることができると思います。

森雅之の色気

あまり映画というフィールド全体を見渡してもいなかったキャラクターのトミオカ。かなりの女たらしでありながら、恐らく小説家の太宰治をモデルにしたかと思われる風貌で生気のない男。

当時の黒澤明小津安二郎の映画にはほとんど出てこないダメ男。一見これのどこがモテるのか?という感じです。

戦争中のため、生気がほとんど感じられない佇まいは、戦争という巨大な力に飲み込まれた、本来なら生き生きとしていたはずの人を表すための、役作りのための過酷な体重制限によるものです。表情からは死の影が出ている程で、ある意味ではそこから色気も出ていたと思います。

そしてそれを演じた森雅之は、2014年の『キネマ旬報』創刊95周年記念オールタイム・ベスト日本映画男優で、なんと2位に選ばれていました。勝新太郎高倉健を抑えてのランクインには正直驚きました。

男優は三船敏郎が1位、女優は高峰秀子が1位になっていまして、当たり前の様に1位に入っていた高峰にも驚きです。

出会ったばかりの女と混浴しながら爽やかに笑っていたり、目で女をたらしこんでモノにしたりする演技。それがどこか格好良くも見えてしまう程に大人の色気を兼ね備えていた森雅之はやはり凄いと思います。

ちなみに温泉での妖艶なおせい(岡田茉莉子)との出会いと、混浴するまでの、目線を使ってたらしこむ大人の演技は見ものだと思います。

なんでゆき子は離れられないのか?

一方、先程のオールタイム・ベスト日本映画女優で第1位を獲った高峰秀子による演技も怖いほどでした。

ゆき子のベトナムでの表情と、日本に来てからの無気力ぶり、声、態度の変化には驚きました。敗戦と生活苦による堕落を演じきっています。これを高峰秀子の代表作と言う人も少なくないのもわかります。

少し気になったのですが、ゆき子トミオカからどんなに酷い目にあっても離れません。その理由は特に説明されず、ゆき子の煮えたぎるような情念のようなものが強く描かれているだけでした。

脚本家の女性がなぜ二人は離れないのかについてこう語っています。

「身体の相性が良かったからに決まってるじゃない。」

これが答えのような気がします。体の相性なんて言われたら元も子もない気もしますが、体がピッタリフィットするって、それこそ性格が合うとかよりも決定的で運命的な気もします。

下世話な話、女性は体の具合が合うと男性よりも気持ちいいらしいですし、煙たがる男と、どうしても添い遂げようとする女の見事なパワーバランスの描写の説明もつくと思います。

この言葉が全てを台無しにして映画の格を落としてしまう部分もあるだろうし、この言葉が全ての辻褄を合わせてくれるというやりきれない部分がありますね。

屋久島での会話

屋久島で、トミオカは、君は良くなったら、東京へ戻れよとゆき子に言います。病気に侵された相手を思いやる気持ちと突き放す気持ちの合わさった絶妙な台詞だと思います。

ここまで二人は離れられずくっつき、最後の流刑地みたいな場所へ来てなぜか、彼は生き生きしていました。彼の罰がここで終わった事の暗喩でもあるのでしょうか。

屋久島での二人のセリフが印象的だったので引用してみます。

「わたしがいなくなれば、ほっとなさるでしょう?」
「ははは、ほっとするさ、女はどこにでもいるからね。」

引用:映画『浮雲』

トミオカはここでゆき子に対しての一番の笑顔です。トミオカがモテる理由もこんな会話で十分わかります。女性にしたらやはり傷つく言い方な気もしますが。

そうね、どんな立派な女でも男から見れば女は女ね。

引用:映画『浮雲』

この台詞、やりとりは女性じゃなきゃ書けない台詞だと思います。この後にまだセリフ続くのですが、とても価値があるやり取りだと感じました。軽快でタイト、かつ、おしゃれさも少しあると思います。

二人の会話のトーン、少しだけ口許に笑みを浮かべながらの皮肉交じりの喧嘩。切実さとは、声の大きさではないと成瀬に教えられた気がします。観客の感情や感性に静かに訴えてくるようでした。どの国のどの時代の映画でも見たことがない深い台詞だなと思いましたね。

最後の余韻

最後にベトナムでの生き生きとしたゆき子が映し出されるシーンは、俯瞰で知られる成瀬としては少し以外に感情が籠ったようなシーンで、胸にくるものがありました。

ただの暗い戦争映画とは別の、普遍的な男女の恋愛映画の側面も獲得できていると思いました。今までの暗いトーンが前降りとして全部清算されるようです。

宮崎駿のアニメ映画『風立ちぬ』と比べて

同じ時代を描いた宮崎駿『風たちぬ』は愛を描いた映画の中でもトップクラスだと自分は思うのですが、浮雲と比べるとあまりに二人の絆の強さが違いすぎて悲しすぎます。

かたや心から愛しあい、それをひこうき雲になぞらえた美しい世界線。

かたやふっと消える浮雲のような関係と大雨で終わる世界線なんて、悲しすぎますね。ですが、観賞後の余韻は似ていたので不思議です。

成瀬のファン、レオス・カラックス

84年のパリ上映時にこの映画をみたフランス人監督レオス・カラックス成瀬の熱烈なファンになり、「僕は成瀬が好きだ。そして僕の作品は彼の映画と親しげに語り合っている。」と言っていたそうです。

彼の作った短編映画『メルド』では、高雲秀子という、高峰秀子『浮雲』を明らかに組み合わせた名前の女性キャスターが出てきます。

そこらへんも踏まえて彼の作品と成瀬の映画の関連性を探してみるのも面白そうですね。

最後に

やはり名作は名作でした。自分なりにそこがわかったことが嬉しかったです。ただ、内容が暗すぎます。ただただ暗いのです。

これからの時代は、誰かが伝え続けていかない限りどんな名作も埋もれていく程に作品数が増えすぎていると思うのですが、この暗さが次の世代にどう伝わるのでしょうか。。。

なんにせよ今のタイミングでNetflixにあげたことは最高だと思いましたね。 これからも成瀬を気軽に追いかけてみようと思います。

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