『サブウェイ』【ネタバレ感想・解説】パリの地下鉄、若者たちの青春映画

青春映画

今回は映画『サブウェイ』についてご紹介します。

監督のリュック・ベッソンは1980年代のデビュー当時、恐るべき子供たちと呼ばれ映画界に歓迎されていました。フランスの1950年代に始まったヌーベルバーグと呼ばれる潮流以降の革命的な新人として。

ちなみに、恐るべき子供たちと呼ばれた新人監督は3人いて、リュック・ベッソンジャン=ジャック・ベネックスレオス・カラックスの3人です。

カラックスベネックスベッソンと、なにか共通した響きを持っているので面白いですね。

本作品をリュック・ベッソンのベストに挙げるかたも少なくありません。その魅力はどこにあるのか、解説していきたいと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

映画の情報

監督
リュック・ベッソン

脚本
リュック・ベッソン、他

出演
クリストファー・ランバートイザベル・アジャーニジャン・レノ、他

原題
Subway

1984年製作/102分/フランス

あらすじ

金髪をパンク風に逆立て、タキシードを着込んだ主人公のフレッドクリストファー・ランバート)は大金持ちの実業家から重要書類を盗み出し、追手とのカーチェイスを繰り広げたあとパリの地下鉄構内奥深くまで逃げ込む。

するとそこには地上と全く異なる世界が存在し、風変わりで魅力的なホームレスが住み着いていた。

ヒロインは、セレブ妻生活に飽き飽きしたエレナイザベル・アジャーニ)。フレッドが書類を盗んだ実業家の妻である彼女と、書類と現金を交換するために交渉をはじめるが、状況に反して2人は惹かれあってしまう。

そんな中フレッドは地下の住人たちとバンドを結成し、メトロ構内でライブをしようと思いつくのだが、実業家の追手に追い詰められて。。。

感想・解説

オープニングはこんな文句で始まります。

To be is to do – Socrates
To do is to be – Sartre
Do Be Do Be Do – Sinatra

存在は行動なり – ソクラテス
行動は存在なり – サルトル
ドゥビ・ドゥビ・ドゥー – シナトラ

引用:映画『サブウェイ』

ソクラテスサルトルはフランスの哲学者の名前で、シナトラはアメリカのポップミュージシャンの名前、韻を踏んだような文章を持ってきて三段落ちのようなものが決まっています。

個人的には少し寒さもあったのですが、若さと生意気さを体現している文句がこの映画のノリをうまく表していると思いました。

設定やファッションが最高

パリの地下鉄に若者たちが不法占拠して暮らしているという設定と、その若者たちが80年代の古着ファッションに身を包んでいるというラフで自由な空気がこの映画の魅力の一つだと思います。

ポスターを観てみると、オシャレな雰囲気の中にSFっぽさすらあります。

まるでアニメ映画『AKIRA』から実写になって飛び出して来たかのようなパンクなファッションのキャラクター達。主人公フレッドの金髪を立たせてグラサンといういで立ちは映画『トレイン・スポッティング』のシック・ボーイにも受け継がれているような気がします。ライダースを着こなしてバッチリ決まった若き日のジャン・レノも最高。

ずっとスケートを履いている男がいるのですがラフィンノーズというバンドのボーカルみたいなファッションでしたね。主人公には始めイギリスミュージシャンのスティングが起用される予定でした。何故流れてしまったんだ。。。

物語としては一応、警察に追われ地下鉄を逃げ回ったり、仲間たちとバンドを組み、ライブをしようぜ!って流れはあるのですが、まずはこの設定とファッションがこの映画の核をなしていると思います。

あってないようなストーリー

主人公のフレッドはパリの町中を、いきなりクライマックスレベルの激しさで車で駆け抜け、車を乗り捨て地下鉄の電車内へ逃げ込むのですが、思えばここが最後の外の景色を見れるシーンでした。あとはずっと地下の中です。

薄汚れたパリの地下鉄の、無機質さ、閉塞感。これが若い彼らと混ざってイー感じでした。

若者たちが地下鉄の奥の酷い部屋に住んでいて、ハンモックに寝てたり、簡易的なバーでご飯を盗んで食べたり、地下深くでは多国籍な人たちで溢れるクラブパーティーが開催されていたりと、1日ぐらいなら行ってみたいと思わせるような魅力が溢れていました。

仲間達と溶接機を使って花火大会を開くシーンは、メトロという舞台装置を生かしたひとつのクライマックスだったと思います。

ただ、ずっと地下の中にいるので、自分のように後半は外の景色がみたくなってきてしまう人もいるかも知れません。

個人的に思ったのは、ストーリーやキャラクターの相関々係も少しわかりづらかったので、映像を魅せたいのであれば、ストーリーは昔話レベルの簡単なものにしたらもっと映像に集中できるのではないかと思いました。

カラックスの『汚れた血』との類似点

主人公のフレッドは金庫を爆破したり、駅地下の部屋を爆破したり。かなりクレイジーです。

主人公が金庫破りという設定は、恐るべき子供たちの一人、レオス・カラックスの映画『汚れた血』の主人公と一緒です。

また、警察に追われフレッドが地下鉄を駆け抜け、横スクロールのカメラが追っかけるシーンでも『汚れた血』を感じましたね。

赤い柱をぬってひたすら走っていく彼を長回しで撮りながら、BGMに大音量のロックサウンド。

『汚れた血』の公開が1986年、この『サブウェイ』が一年前の1985年なので、こちらが本家と言ってもいーでしょうね。

死よりも熱狂

この映画の中では、若さ、自由、権力や富裕層に対しての反抗などのテーマが見え隠れしています。

ストーリーの甘さも、適当さという意味では自由を体現しているのかもしれません。と思うのは考えすぎでしょうか。

金持ち男に拾われた団地の田舎娘エレナが、贅沢な生活で窒息しそう、耐えられないと涙しながら懇願するシーンがあり、彼女は地下鉄へ向かいます。金より今を生きる事を。そんな若さが感じられました。

一方フレッドは現金輸送を襲います。銃をつきつける事で簡単に現金強奪に成功しています。こちらは今を生きるために金を、脚本自体が細かいことは抜きにして進んでいます。

クラシックのコンサートが行われる予定だった会場を乗っ取ります。演奏者に金を渡し銃をつきつけて。二人の自由がライブと言うシチュエーションへと確実に向かっていきます。

ラストはライブ会場に人が一斉になだれ込みカオスのまま物語は終わります。フレッドは追っ手に胸を銃で撃たれたはずが、エンドクレジットの中、自嘲的な笑みを浮かべて起き上がり、なぜか気にせず踊り続けるのでした。

フェデリコ・フェリーニの映画『8 1/2』のラストのセリフ

人生はお祭りだ、一緒に過ごそう

引用:映画『8 1/2』

を思い浮かべました。こちらの映画もとにかく最後はお祭り騒ぎで終わるところが似ています。このラストでは死ぬことも対した事ではないと言われているようでした。それよりも踊るか。。ってな感じで。

最後に

若さをテーマにし、自由を描き、反骨精神も描く。ここまでまっすぐ表現できていることが凄いです。

一年後にこの映画の上位互換のような『汚れた血』が撮られていることで、ただの想像ではありますが、この映画がなんらかのインスピレーションを与えたのでは?なんて思ったりもして。あまり想像で話すのは良くないですが。

自分のようにリュック・ベッソンをスルーしてた人も、もしこの映画を観たら少しでも見直すと思います。いつか『汚れた血』も再見し、再考して観たいと思いましたね。

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