ゾンビ映画の第一人者ジョージ・A・ロメロは2017年に惜しくも亡くなってしまった為、こちらの作品が最後の作品となってしまいました。
ある島が舞台の人間同士の争いを描いた本作。結果的にとはいえ、この作品を通して彼はキャリアの最後に何を語るのか?ゾンビ映画の未来に何が残ったのか?チェックしていきたいと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
映画の情報
監督
ジョージ・A・ロメロ
脚本
ジョージ・A・ロメロ
出演
アラン・ヴァン・スプラング、ケネス・ウェルシュ、キャスリーン・マンロー、他
原題
Survival of the Dead
2009年制作/90分/アメリカ
引用:amazon
あらすじ
ゾンビが世界に発生してから6日後。
大西洋に浮かぶプラム島で、牧場でゾンビを調教しているマルドゥーン一家と、武装してゾンビの皆殺しを狙うオフリン一家が激しく対立していた。
それから3週間後。軍から脱走した元州兵のブルーベイカーは仲間を率いて生存者から金品や食料を奪いながらあてのない生活を続けていた。とある集団を襲った際、そこで出会った少年から「安全な島」の情報を知らされる。
インターネットの動画サイトで「安全な島=プラム島」を謳っていたのは、その島の対立に破れ、一時的に追放されたオフリンだった。
ブルーベイカーは胡散臭いと訝りつつも、仲間の説得に応じ島へ向かうと決める。オフリンと出会って手を組み、島へ上陸したのも束の間、ブルーベイカー達はオフリンとマルドゥーンとの因縁の戦いに巻き込まれて行くのであった。。。
感想・解説
ロメロによる久しぶりのゾンビ映画である『ランド・オブ・ザ・デッド』の前を描いた本作品ですが、控えめに言ってもロメロの最高傑作とは言いがたく、初期三部作にはやはり勝てないとは思います。
ですが、そこは流石ロメロ。ゾンビ映画の未来についていろいろ探っている部分も多くありました。
脚本の大部分で違和感を感じてしまいましたが、ゾンビ映画やホラー映画に関していえばどんなにB級でもそれすらも面白く観れる人が多いのも事実。
あえてここではおかしな部分を粒立てて突っ込んでみようと思います。
なぜ、島が舞台なのか
ロメロ自身が大好きな西部劇の名作『大いなる西部』を、ゾンビ映画として現代に蘇らせるというプロジェクトがこの作品で、実際に映画の雰囲気は西部劇っぽかったです。
西部開拓時代のある家族同士の争いを描く為の舞台装置としての閉鎖された島だとは思うのですが、他人のブルーベイカーが島へ行くメリットがひとつもないように思いました。
銃や弾や食料、水、ライフラインが途絶えるような危険をなぜ犯すのか。やはりそこはしっかり描くべきだと思います。
島へ行かないかと提案されても、ブルーベイカーは怒り狂い、俺は誰の指図も受けないと、車の中で大暴れします。車のガラスを割るほどまでに。。。
ですがその後仲間に諭され、即行くことにします。あんなにぶちギレた後に行くのか?話と人間描写がちぐはぐでした。
島へ行くことを進言した少年は1億円の札束が入った車の鍵を持っていました。その為一旦少年と行動を共にするための島へ行く決断なのでしょうか?
ここに来て金がいるの?とは思ってしまいましたね。話を盛り込みすぎてつまらなくなるなんてまるで初心者がやってしまいそうなミスをしているとは思ってしまいました。
とにかく、ゾンビが溢れた世界で島へ行くことがそこまで価値があるのかはしっかり描くべきだと思います。
引用:© 2009 BLANK OF THE DEAD PRODUCTIONS INC.ALL RIGHTS RESERVED
爺たちの意地の張り合い
まず始めに島でゾンビ化した子供たちを隠す夫婦がいて、ゾンビ皆殺し派のオフリン一派が、なかなか口を割らず取り乱した母親を威嚇した後、銃で撃ち殺します。
ゾンビだけじゃなく人間もそんなにあっさり殺す姿勢にビックリしました。夫の目の前で。
ロメロは混乱した人を描いているという事なのでしょうか?やりすぎだとは思いましたが、こういうバンバン人が死ぬラフさも考えてみればロメロの真骨頂でした。どこかで過度な期待をして勝手に肩透かしを食らっているのはこちら側なのだと知らせてくれます。
ロメロはいい意味で何も変わっていなくて、最低で愚かな人間たちを確かに描いてくれています。
ゾンビ養護派のマルドゥーンが邪魔をしてくるのですが、彼は農場でゾンビを飼い、ロメロ作品にはお馴染みの、ゾンビになっても自分の生きてた頃の仕事を続けるゾンビがそれぞれ仕事をしています。100年後には特効薬が見つかり直すことができると力強く断言しています。
「私は神の言葉に従って生きて来た」と言い、100年後の特効薬を待っているマルドゥーンですが、自分の言うことを聞かないゾンビはバンバン撃ち殺しています。
ゾンビを生かす派としてはあるまじき行為のように感じました。
どうしようもない爺たちの意地の張り合いを描いているのは強く伝わってくるのですが、ここで優しい目で観れるかが評価の分かれ目な気がします。
マルドゥーンはなぜ島であれほど悠々自適に暮らしているのか、いつまでもリーダーでいられるのかも描かれていなかったように思います。
やはり現代のゾンビ映画を観る目線とは別の角度からこの映画を観たほうがいいと思います。
現代のゾンビ映画感覚で観ちゃダメ
マスターベーションをして喘ぎ声をあげながら登場したトム・ボーイという「男じゃイケないわ」が口癖のレズビアンが出てくるのですが、『大いなる西部』を下敷きにしようとしたシブイ老監督の発想とは思えないキャラクターの登場に驚きました。
誰も彼もが銃をバンバン撃ちまくりますが、そもそも銃弾は足りているのか?最近のゾンビ映画では真っ先に描かれるべき部分が抜けていました。
オフリンはなぜネットの動画を通してまで島へ行く仲間を募ったのに、そこにやって来たブルーベイカー達を地雷や銃で襲ったのか?ここは意味がわからなかったです。
なぜこんなにも突っ込みどころだらけなのでしょうか?本当に疑問に思ってしまいました。
この作品はアクションやゴア表現、スプラッターというエンタメ寄りのくくりではなく、もっとインディペンデント寄りの、アート寄りのものだと思ったほうがいいのかもと思います。
ロメロ作品にある個性、ラフさ、哲学など、実はロメロはジム・ジャームッシュ監督やアキ・カウリスマキ監督などを観る感覚で観たほうがいいのでは?とも思いましたね。今のゾンビ映画の感覚に飲み込まれ一緒くたにしては絶対にダメだと思います。
ロメロが描いてきたもの
首だけになったゾンビを棒に刺して沢山並べている一般人がいるシーンがありましたが、ただゾンビが現れ逃げ惑う現代のゾンビ映画の大きなテーマ性よりもこちらのほうが細かく人間を描いていると思いました。
ロメロは人間を描いてきたというよりは、過酷な状況での人間の暗部を個人的に描いてきたのだと思います。
ドラマ『ウォーキング・デッド』のエピソードを数話監督してほしいとのオファーを受けたが断ってしまったロメロは、その理由としてThe Big Issueのインタビューでこんなことを言っています。
「関わり合いたくなかったんだ。基本的にあの番組は、ゾンビが時折出てくるソープオペラ(※ メロドラマ)にすぎないからね。私はいつも風刺や政治批判のためのキャラクターとしてゾンビを用いてきたが、現状ではそういう要素が欠けていると思ったんだ」
引用:海外ドラマNAVI
彼はドラマよりもっと個人的なライフワークの為に描きたい人なのだと思います。
これからのゾンビ映画
そしてそのライフワーク的な精神がまさかのアメリカの映画監督ジム・ジャームッシュの2019年の映画『デッド・ドント・ダイ』へと繋がったと個人的には思いました。
なんとなく撮ったのだとしても、この蒔かれた一つの種は後の世代にとってなかなかデカいインスピレーションを与えると僕は思っています。
また、本作品はドラマ『ウォーキング・デッド』の、名作とされているシーズン2と設定やテーマがほぼ同じです。ラストシーンのある2人の対峙シーンなど、この作品からの引用もありました。
『ウォーキング・デッド』で製作総指揮・監督・特殊効果を担当するグレッグ・ニコテロは、3作目以降のロメロ作品に参加しているので、間違いなく影響を受けているといっていいと思います。
ゾンビに馬を食べさせることで飼い慣らせたり学習させたりする可能性を描いていたのだと思われるシーンがありましたが、残念ながらこの映画の5年も前に映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』で飼い慣らせる可能性は描かれていた後でしたね。
ただ、『ショーン・オブ・ザ・デッド』の監督は前作に声の出演もしており、ロメロへのリスペクトも伺えます。確かな後輩も育っているのだと思いましたね。
引用:© 2009 BLANK OF THE DEAD PRODUCTIONS INC.ALL RIGHTS RESERVED
本作品で見られるゾンビいろいろ
本作品でもオリジナリティに溢れ若干笑ってしまうようなゾンビが登場します。
前述したようにロメロにとってのゾンビは問題提起の為の背景のようなもの。素早く走ることもなくどこか可愛さすらあります。
映画『デッド・ドント・ダイ』でも見られた新聞配達するゾンビや馬に乗るゾンビ。
海を泳ぐシンクロナイズド・ゾンビが見れたり、釣りざおに引っ掛かるゾンビ釣りも見所です。個人的には消火器の噴射部分を口に入れられ両目を飛び出して死んだ消火器ゾンビがお気に入りでした。
ラストではゾンビには生きていた頃の習性が残っているというロメロ監督お馴染みの思想にプラスして、人間性や性格も残っているのだと言うことも教えられました。
ゾンビになっても喧嘩する爺。そこに教訓もありましたが、それ以上にゾンビのお祭りは終わらない、ゾンビ映画に終わりはないというようなメッセージとして個人的には受け取りました。
最後に
書き残した突っ込みどころとしては、娘が実は双子でしたという謎のミステリー設定いらんやろ。娘がゾンビに噛まれるのは、そりゃそうなるって。がありました。。。
でも、もう、いいです。そんな事は。
なんにせよこの世界にゾンビというものを生み出した事が本当の本当に凄すぎます。
ロメロ監督ありがとうございました。
コメント
>ですがその後仲間に諭され、即行くことにします。あんなにぶちギレた後に行くのか?話と人間描写がちぐはぐでした。
行くあてなどなく、今では唯一の親友に諭されたから。
彼が大事な人間であることは、上陸後死んだ時の二人の様子からも分かります。
ブルーベイカーに「ほらやっぱり助けやがった」と言いながら死んだ彼です。
>ゾンビだけじゃなく人間もそんなにあっさり殺す姿勢にビックリしました。夫の目の前で。
あっさりではありません。銃を持ってオフリン達を撃とうとしたからです。
>「私は神の言葉に従って生きて来た」と言い、100年後の特効薬を待っているマルドゥーンですが、自分の言うことを聞かないゾンビはバンバン撃ち殺しています。
>ゾンビを生かす派としてはあるまじき行為のように感じました。
頑固な爺様の方針が既に破綻している事をブラックジョークで表しているだけです。
>誰も彼もが銃をバンバン撃ちまくりますが、そもそも銃弾は足りているのか?最近のゾンビ映画では真っ先に描かれるべき部分が抜けていました。
パンデミックが始まってせいぜい1ヵ月、ネットや動画サイトが生きているどころか、
ゾンビをネタにしたお笑いテレビ番組すらまだ放送されている時期の話です。
初POVダイアリー・オブ・ザ・デッドと同時間軸にある事からも分かります。
>オフリンはなぜネットの動画を通してまで島へ行く仲間を募ったのに、そこにやって来たブルーベイカー達を地雷や銃で襲ったのか?ここは意味がわからなかったです。
奪うことが目的で「募った」動画はただのエサでしかありません。
ブルーベイカーと共闘したように、使える、信用出来る人間か、人を見ていたかもしれませんが。
丁寧に準備をしたランド・オブ・ザ・デッド、初POVのダイアリーに比べ、
大雑把で練られている話でもないのですが、ちょっと違うなと思った部分だけ。