今回は映画『ヤクザと家族』についてご紹介します。
本作品は、2020年のアカデミー賞最優秀作品賞の映画『新聞記者』の藤井道人監督によるヤクザ映画です。
正当なヤクザ映画がメジャーの配給会社からどんどん少なくなって来ている中での藤井道人監督によるオリジナル脚本。
オリジナル脚本にヤクザ映画を選んだということで、相当ハードルは高いと思いますがその分気合いも入ってるのかと思います。
綾野剛も出てるし、間違いないでしょ!ってことでレビューしていきたいと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
映画『ヤクザと家族』の情報
監督
藤井道人
脚本
藤井道人
出演
綾野剛、舘ひろし、尾野真千子、北村有起哉、市原隼人、磯村勇斗、二ノ宮隆太郎、他
2021年制作/136分/日本
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映画『ヤクザと家族』のあらすじ
第1章:1999年
仲間と悪さをしてその日暮しをしていた山本賢治(綾野剛)は、ある日行きつけの焼肉屋で偶然居合わせた柴咲組組長の柴咲博(舘ひろし)の危機を救ったことからヤクザの世界に足を踏み入れる。
第2章:2005年
ヤクザとして名を上げていく賢治は、自分と似た境遇で育った女性(尾野真千子)と出会い、家族を守るための決断をする。
組長が襲われ、仲間が犠牲になり、賢治は柴咲組を守るために一人で相手の所へ乗り込んだ。
第3章:2019年
14年間の刑務所暮らしを終えた賢治だったが、柴咲組は暴力団対策法の影響で過去の勢いもなく、仲間は組を抜け、組長は病気で入院、しのぎは密漁と薬の売買という有り様。
恋に落ちた女性と再会し、自分との間に娘がいたことも初めて知る。
愛する家族のためにヤクザの世界から足を洗い新たな人生を歩もうとする山本だが、元ヤクザという経歴が運命を狂わせていく。
1999年・2005年・2019年という3つの時代で描かれる、一人の男と家族の20年間を描いた物語となっています。
映画『ヤクザと家族』の感想・解説
2020年のヤクザ映画を見渡すと、この『ヤクザと家族』と『虎狼の血』、あとは『すばらしき世界』が有名どころという感じで、王道の『虎狼の血』以外はヤクザの生き辛さを描いていて、『アウトレイジ』シリーズも終わって、とうとうこういうヤクザの没落を描く時代が来たのだなと思いました。
全ては無理ですので、気に入った部分を解説してみようと思います!
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監督の藤井道人のセンスとは
藤井道人監督は作品毎にビジュアルイメージを決め、所々にその映像を差し込むことが特徴の監督です。
『デイアンドナイト』では「風」、『新聞記者』では「落ち葉」と、これまでの作品でもビジュアルテーマを設定してきた彼は、本作のビジュアルテーマを「煙」に定めていました。
時には巨大な煙突から立ち上る真っ白な煙、ある時は煙草の煙など煙の様々な面を見せていました。工場の煙の、常に形を変える浮わついたイメージや、人から煙たがられる煙草の煙など、様々なイメージが本作品の各所に配置されています。
禁煙化が進む社会で、喫煙者が徐々に阻害されるような、そんな立ち位置もヤクザと重なりました。時代が変わって刑事はIQOSなんかを吸い、ヤクザはまだ紙煙草を吸ってる描写とかもうまかったですね。
藤井監督は各章ごとに「煙に巻いてきた人生」「狼煙をあげる人生」「煙たがられる人生」というテーマを冠し、映像の質感やカラーリング、カメラワークも連動して変更したといいます。
第1章「煙に巻いてきた人生」では手持ちカメラでの撮影でキーカラーは赤、1999年の若い主人公の危うさや揺れを表していました。
第2章「狼煙をあげる人生」ではジブ(小型クレーン)による撮影で、キーカラーは緑。手持ちからジブは一気に緊張感が増していましたね。
第1章、第2章はサイズが一緒で、横に広いシネスコ。そして、シネスコから、第3章「煙たがられる人生」はFIX(固定)で撮影し大きなIMAXのサイズになっていて、落ち着いたイメージはあるものの、ローコントラストの少し淡い色合いが何かの終わりを感じさせるようでした。
舞台装置やカメラアングルはロジカルでクールに計算されすぎていて息苦しいという意見もあると思いますが、だからこそ生きている役者の生々しさは映えるのかなとも思います。これを踏まえてもう一度見てみようかなとも思いましたね。
綾野剛のやばさ
前述した舞台設定の上で、やはりとんでもない存在感を出していたのがなんといっても綾野剛です。
彼が暴れまわり、泣きじゃくるだけで胸に来るものがありました。演技の技術というよりは、なんか感動してしまう力と繊細さがあるのです。
1999年、2005年、2019年と各時代の主人公の20年を表情や存在感だけで演じきっていて、まずは彼の相当な覚悟を感じました。
それと衣装が、1999年は白のダウンを着て金髪で潔白なイメージ。金髪が血で赤く染まり転機が訪れ2005年は黒のスーツ。2019年は髪も少し減り、グレーのスーツを着こなし枯れたイメージと、美術部の心遣いも感じられました。(映画『花束みたいな恋をした』にも見られた衣装のこだわりは最近の風潮なんでしょうか?)
1999年は19歳という設定で、少し顔つきに無理を感じてしまいましたが、長いカットの中でノースタントで車に轢かれるシーンがあったりして、その演技は怖いぐらいで無軌道な若者をしっかりフィルムの中に存在させていたと思います。
2005年に入ると背中にガッツリ和彫りが入る大写しがあったり、表情も尖ったナイフのようになっています。時の流れを一発でわからせる役作りでした。
組長と仲間と車に乗り、敵に襲撃される長いワンカットのシーンがあるのですが、ここは必見でした。彼の役者人生の集大成や魂が全部出ていたのでは?と思うほどの演技で、長いワンカットの中でちょうど涙を流さないといけない位置で涙が溢れ、それでも違和感はなく、本当に凄い役者さんだと思いましたね。
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舘ひろし、北村有起哉もやばい
柴崎組の組長役の舘ひろしはあまりヤクザのイメージはなかったのでどうなることかと思いました。
が、事務所に主人公を招き入れるシーンでのその第一声があまりにも優しく、今の時代に必要な父性のようなものが滲み出ていて、こういう組長を演じるなら舘ひろしは適役だったのだと思いました。
敵対する加藤との会談シーンでは優しいだけじゃなく怖さも出ていて、人間力で演技になっているようなその存在感には感動しましたね。
自分の言いつけを守らずライバル組織の幹部を殺害して戻ってきた賢治を殴るのではなく、強く抱きしめることでその場を納めるシーンに顕著なように、この映画の”家族”というテーマの大部分を担った舘ひろしは凄いと思いました。
柴崎組のナンバー2の中村を演じた北村有起哉もやばかったです。北村有起哉の他の映画もチェックしようと思ったぐらいに。
映画『すばらしき世界』では寡黙な公務員役がピッタリだったのに、本作品でのヤクザ役もかなり板に付いてて驚きました。大杉漣の迫力を感じた程です。
彼の劇中での台詞、「ヤクザとは義理人情を重んじ、男を磨き、男の道を極めることだと自分は思っております。」は、歴代のフィクションとしてのヤクザ映画へのラブレターのような台詞のようで感動しましたね。
磯村勇人、市原隼人も半端じゃない
2019年の章では主人公は磯村勇人演じる翼だったのでは?と思えるほどの迫力でした。1999年の賢治のようなファッションに金髪で、仁義のない半グレをなんの違和感もなく演じていました。
この映画のロケ地である静岡県沼津は彼の地元のようで、まさにこの映画にうってつけの人物なのだと思います。
磯村勇人が初登場する場面では、川崎のヒップホップクルーのBAD HOPの音楽が流れていて、若者を描いた演出としては、的確だと思いましたが、小さな音だったので、もっと歌詞やバスドラの低音など、音楽がハッキリ聞き取れるレベルで流してくれても演出としてはアリだったのではと思います。
最後に彼が全部持っていく「少し話そっか。。。」のシーン、あのなんとも言えない表情は、とてもグッと来ましたね。
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最後に、綾野剛の弟分役を演じた市原隼人も個人的には最高でした。彼にしては珍しい二番手、三番手の役柄、綾野剛より役者として先輩ではありながらの弟役も、存在感はあり良かったです。
当時衝撃的だった彼の14歳のデビュー作『リリイ・シュシュのすべて』で見られた、繊細で内気なキャラクターの一面が久し振りに垣間見れて個人的には熱かったです。彼はそっちのキャラクターでもこれから売り出してもいいのでは?と思いますね。
彼が語る、ヤクザを辞めて人間として扱って貰うまでの5年は地獄だったという台詞はこの映画の後半の重さをさらに深めてくれたと思いました。3年ではなく、5年なんですね。長い。。。
流れる煙のように
前述しましたが、この映画の所々に出てくるのは煙のシーン。物語の舞台は架空の街、煙崎(たばさき)といい、街の名前にすらも煙が入り込んでいます。
アメリカのガス・ヴァン・サント監督がよくやる演出の、早送りで流れる雲と動かない建物のコントラストの絵作りなんかも思い出しましたね。
オープニングで海に人間が沈んでいく映像から始まり、海中から無数の泡がゆっくり立ち昇っていき、そこで現在の物語に入り込むという演出。
いくつかの印象的な煙のシーンを経て、後半の山場では始めて雨が降ります。浮わついた煙が固まり地面に落ちてくるイメージが伝わりました。その後雨は海となり最初のシーンに戻り、深い底まで沈んで行きました。
エンドロール前では、翼と娘を見守るかのように上空からの映像で、カメラはゆっくり引いていくのですが主観がまるで煙のように、上空からになっていて見事だと思いましたね。
あのカットでは、眩しい太陽の下で、新しい世代だけは違うように生きれるんだ。という希望も込められていたようで流石にグッと来ましたね。
賢治は19歳の頃、盗んだドラッグを売ろうともせず海に投げ捨てていましたが、薬中毒で海に沈んで死んだ父親へのはなむけともとれ、そして単純にドラッグの否定にもとれ、このシーンひとつとってもまぁ~上手いですね。
最後に
なかなかあらすじはベタだと思います。
が、映画の構造が面白く、役者が凄いので飽きることはありませんでした。
家族がテーマだけど幸せな人たちはあまりいません。だからこそ今をささやかに生きようと、そう思いましたね。
もう、ヤクザ映画はいらないね。この映画が終わらせたから。。。んなわけない。今上映中の『虎狼の血2』がどんな感じか、それを見てからだな!
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